サラダをオーダーすればその店の質がわかってしまう

レストランにも多種多様な形式やランクがありますし、その店のオーナーの考え方によってオペレーションもまったく違ってきますから、一緒くたにするのもどうかと思いますが、ここではやむを得ずレストランをひとつの括りにして考えてみます。

サラダ
サラダ

レストランのサラダはその店の姿勢を象徴するものです。まずは、サラダをその場で作っているレストランを探してください。

サラダをその場で作ってくれているレストランは、野菜が無農薬でなかったとしても、いい店なのです。もしも消費者側が無農薬野菜にこだわるならば、それはやはりムーブメントにしていかなければ、なかなかどこのレストランに行っても無農薬の野菜が出るということにはなっていきません。

レストランだって商売ですから、そのほうが売れると分かればそういう物を提供し始めます。

ただ現状では、オーガニックの野菜にこだわっている消費者はまだ何パーセントもいません。マイノリティを相手にレストランとして商売を成立させるのは難し過ぎます。

今はまだそこまでこだわることはできませんけれども、それでもその場でサラダを作ってくれている店は意識が高いです。そういう店を選びましょうというのが、結論中の結論なのです。

逆に、間違っても選ばないでもらいたいのは、サラダを作り置きする店です。野菜がきれいに盛り付けられたガラスの深皿が、いかにも今まで冷蔵庫に入っていましたというようなキンキンな冷え方。そこにマヨネーズが添えられたり、わけの分からないドレッシングがかけられたりして供され、「はい、サラダです」と言う。

このような店は選ぶに催しません。サラダ付きランチのある喫茶店でも、何皿も用意してあるサラダを冷蔵庫から出してきたりしますが、グレードの高いレストランでさえ、同じようなことをしているところが結構あります。そういう店は、要するにサラダに情熱をかけていないということです。

サラダに情熱をかけていないレストランが、他の物に情熱をかけるはずがありません。こうなるともう、倫理観やプライドみたいな話に関わってきますけれども、やはりサラダに情熟をかけているレストランは、ほとんど間違いなく他のメニューにも情熱をかけています。

こうしたことを知った上でレストランを選んでください。レストランと銘打って、チャラチャラした装飾には気を遣っていたり、お金を使っひげていたり、シェフがたいして似合いもしないのに立派な髭を生やしていたり、不必要に高い帽子を被っていたり。そんなことをしてあたかも一生懸命にやっているように見せかけておきながら、ファミレスと同じように業務用のドレッシングを使っている店もあります。

恥知らずだなと思うのですけれども、そういうところに限って、やはり不必要に大きな皿においしくもないとんでもない色をした大根のような物ばかり、薄っぺらに切って、よく分からない盛り付けにして出してきたりするものです。

全部で20グラムにも満たないような物を野菜のサラダと称している。そんなところでかっこつけるんじゃない、と言いたくなってしまいます。もっとシンプルでいいのです。

とにかく、料理の見栄えや盛り付けなど、本質とはズレたところにばかり情熱をかける店はろくなものではありません。そこに業務用のドレッシングがかかっていようものなら、腹が立ってしまいます。

消費者が気付かないのをいいことに、そんなところに商売の重点を置いている店もあります。うっかり間違って入ってしまうこともあるでしょうが、消費者としては二度とそのような店には行かないようにしてもらいたいのです。

サラダはやはりある程度のボリュームを食べるべき物です。おいしいサラダはたくさん食べることができます。有能なシェフは、おいしいサラダがどういう物か知っていますから、そういうシェフのいる店ではある程度ボリュームのあるサラダが出てきます。

レストランのよさはシェフが奥にいて、サービスの人が対応してくれるような店もありますけれども、その場合はそのサービスの人とある程度コミュニケーションが取れるようにしておいて、「こんなサラダ作ってくれない? 」とお願いすると、脱があってプライドがあるシェフなら、お互い顔を見ていなくても大喜びで作ります。

「レタスがいっぱいのサラダが食べたいんだ」「キャベツを使ったサラダ、作れない? 」などとリクエストすると、「はいはい」と気軽に作ってくれるものです。

それが、たとえメニューに載っていなくても。もちろん、こちらも店が満席でてんてこ舞いのときにそんなわがままは言えません。そういったことをわきまえた上での「わがまま」です。やはりそういうコミュニケーションが一番大事なのです。こちらも足しげく通うということは、そのシェフのことを信頼しているという証になりますし、シェフのほうも「あ、この人また来てくれた」というのはものすごく嬉しいことで、「自分の料理を気に入ってくれているんだな」と感じる。

そういう人間と人間との繋がりに、またパワーが生まれるように思います。それが料理に表現されるのだと思うのです。愛情が通い合っている家族が作ってくれた料理は無条件においしいものですが、それに近い関係を店との間にも作って欲しいと思います。

そうすると、レベルの高いサラダが食べられる確率が上がっていきます。チェーン店では、いくら通ってもそういう繋がりが成立するのは難しいでしょう。

メニューも決まっていて、メニューにない物は出せませんし、値段も決まっています。でも、本物のレストランだと、イレギュラーな要望にも応じてくれます。

かえってとんでもなくおいしい物が出てきたりする可能性もあります。一流の料理人というのは、客が高度な要求をしてくれると、それに応えるように努力をするものなのです。そこに快感を感じる。新たなことにチャレンジするということに対して、ものすごく貪欲です。

これは料理に限らず、一流の人は皆そうでしょう。自分が無理難題を与えられたら、それは自分にとってのチャレンジのチャンスだと捉えて、そのとき持っている自分の最高の力を出そうとすぐに挑める人、それが一流の人間だと思うのです。

スポーツマン、音楽家、文筆家などでも同じです。1つの懸念は、理解度の低い客、料理の本質がよく分からない客が多くなってきていて、そういう客ばかりだと、対応する側もやはりそのレベルに合わせなければならなくなってしまうということです。

ですから、客としての自分のレベルアップも常に消費者側がやっておくべきだといぅことも、付け加えておきたいと思います。そうすると、それに応えるシェフたちの努力も無駄にならなくなりますから、全体のレベルアップが加速され、お互いがより豊かになっていくと思います。

危ない外食

 

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